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ひさびさに、骨太な東野圭吾作品を読んだなあ、という思いです。
「フーダニット」「ハウダニット」から「ホワイダニット」へ変化していた作者が描いた、
犯罪被害者の視点からのさらなる新境地。
ひとり娘を蹂躙され殺害された長峰は、密告電話により犯人の居所を知り、
平凡なサラリーマンだった彼の復讐劇が始まります。
犯人のひとりを殺害し、逃亡した残るひとりを追いかけて長野へ。
警察の追手を避け続け、宿泊先のペンションの従業員との心の触れ合いも交えながら、
犯人を捜す長峰に訪れる、最後のとき。
ラストの「ドンデン返し」も、作者ならではの味です。
ページ数が少なくなるにつれて鼓動が高まり、一気に読んでしまいました。
最初から最後まで涙を禁じえませんでした。
少年犯罪のニュースを観るたびにやるせなく、悔しく、虚しい気持ちでいっぱいになります。
もし身内が殺されたなら。その相手が罪に問われることなく社会復帰を果たすなら。
想像するまでもなく、私の残りの人生は果てのない暗闇に押し潰されるでしょう。
時代の流れにより法律を変えるのは本末顛倒かもしれません。
ですが浅知恵の私は、そうせざるを得ないこともあるのではないかと思っています。
社会に投げかける作者の問いに、読者は答えを出せるのでしょうか。
皮肉なことに、物語はその第三者の声まで描いています。
画面の前で偏った情報だけ受け取って、
どれだけ正義を語ろうと、それは偽善に過ぎないと、
作者はざっくり斬りつけてきます。
ラストはこちらの期待を裏切るものかもしれません。
ですが、それが今のゆがんだ現実そのものなのだと思います。
正義の刃はどこに振りおろされるべきなのか。
マスコミの報道に操られず、自分の目を養って、答えを出さなければいけないのでしょう。
犯罪、そしてそれを裁くのはマスコミでも裁判所でもなく、
ひとりひとりの心にゆだねられるべきなのだと思います。