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1985年8月12日。
祖父の初盆で寄り集まっていた叔父叔母たちが、テレビに釘づけになっていた。
「ジャンボが落ちた」
その重大さを、当時6歳だった私は理解できなかった。
山中で黒煙をあげる機体の写真や、520人という犠牲者数は、
かつて大きな飛行機事故があったらしいという一事跡の認識に過ぎなかった。
無関心だった私がその事実の重さを知ったのは大学生になってから。
山崎豊子著『沈まぬ太陽』の「御巣鷹山」篇を読んで、ベッドの中で夜通しボロボロ泣いた。
描かれていたのは未曾有の大惨事という形容では表わしきれない、想像を絶する世界だった。
この映画は地元群馬県の新聞社の、日航機事故からの激動の一週間を描いています。
歴史に類を見ない大事故、しかも地元となれば、奮い立つのも当然。
文章、写真、広告、校正、印刷、配達・・・あらゆる作業がつながって、新聞は作られます。
そのプロセスにはいろんな人がかかわり、そうなれば当然軋轢が生じます。
だが予算の少ない地方新聞社、しかも旧時代的な思考に囚われ続けている上層部、
さらに男の醜い嫉妬が絡めば、正面衝突は避けられない。
幾日もの闘い、そして挫折。
映画の前にNHKでドラマ化されていたので、あらすじは知っていましたが、
新聞社の動きに関しては、映画のほうが迫力がありました。
物語は主人公の家族や友人などを絡ませつつ回想形式で展開していきます。
ドラマと映画、原作を削っている場所は違うのですが、
その人間関係の描き方はドラマのほうが優れていました。
諸事情あって新聞購読をやめてしまいましたが、
あらゆるメディアでいちばん冷静で的確で知識を増やせるのは新聞である(べき)と思っています。
だからどれだけ発行部数が減少しても、新聞という紙媒体はなくさないでいてほしいと思います。
映画の最後で読み上げられた乗客の遺書。
--本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している--
迫り来る最期への恐怖のさなか、妻を、子どもを思う気持ち、
その心情は想像することすらできないけれど、
犠牲者の数の分だけ、それぞれの家族が、夢が、日常が、続いていく人生があるはずだった。
震災もあった。JRの脱線事故でも多くの人が亡くなった。
事故や事件で誰かの死が報道されるたび、それを思わずにはいられない。
評価:★★★★☆