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またひとつ、悲しいお別れを経験することになりました。
静かに息を引き取った祖父は94歳の大往生でした。
祭壇の遺影も、幾つもの写真も、思い出の中もすべて同じお顔。
小さい頃も、結婚してからも、祖父はいつも穏やかに微笑んで迎えてくれました。
実家に帰ると「息子」になってしまう父。
祖父母の前では「嫁」になってしまう母。
幼いながらに違和感を抱いていつしか遠のいていた祖父母の家。
が、「嫁」である母はいつも「おじいちゃんは立派な人よ」と子どもたちに言い聞かせていました。
それは本当のことで、祖父はたくさんの知識と、たくさんの慈悲を私たちに与えてくれました。
ただひとつ。
20年近く前のこと。
私の勇気が足りなくて、祖父の期待を裏切ったことがありました。
ほんの一瞬残念そうな顔をしたあと、祖父はまた微笑んでくれました。
母にひどく叱られて申しわけないなあと反省したのもわずかな間のことでした。
知らせを受けて、すっかり忘れていたそのことを突然思い出しました。
どうして祖父をがっかりさせてしまったのか。どうしてできなかった、否、やらなかったのか。
棺の中で眠る祖父に、あの時言えなかったごめんなさいを何度も訴えました。
そしてそれよりもたくさんのありがとうを。
巻き戻せない時間をまた、知ることになりました。
これからも、きっとこんな思いを幾度も重ねていくのでしょう。
誰かの死に直面するたび、淘汰されることのない重さが胸のうちに増えていきます。
生きていくとは、幾つもの命を越えていくことなのでしょうか。
悲しく、虚しい営みです。