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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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友人の結婚式でのスピーチのネタを探すため、実家に帰って古い手紙をあさってきました。

いろんな手紙やメッセージカードが出てきて、楽しくなって読み耽っていたら、

いつの間にか夜中になってしまいました。

 

自分で思っていた以上に、多くの友達と頻繁にやりとりをしていたようです。

ですが、だいたい20歳頃を境にぷつりと途絶えています。

パソコンや携帯電話の電子メールに移行したからでしょう。

 

メールはいつでも届いてつながりあえるけど、文字で書いた手紙はやっぱりあたたかくて、

それ以上に生々しいです。

 

手紙は正直です。

私たちは口には出せない思いのたけを手紙にぶつけていました。

「読んだら捨てて」とか、「気にせんといて、言いたいだけやねん」とかいう文章がよく出てきました。

私たちが若くて、悩みもたくさんあって、でもそれを自己淘汰する術を知らず、

といって日々の生活で発散できるほど幼くもなかったからでしょう。

返信に何と書いたのか思い出せません。

その思いに私は真剣に対峙できていたのかが、気がかりです。

 

メールになってこういうやりとりはなくなりました。

文章は短く要点は簡潔になり、頻度は増えたのに体温は減りました。

同時に自分を飾るようになりました。

つらければ日を空けたり、わざと笑顔マークを入れて返したり。

喜びや怒りの衝動に突き動かされることもなく、

淡々と綴られた文字はやがて消去されていきます。

 

遠くなったなあと感じるのはそれだけのせいではありません。

年齢を重ねて、さまざまな環境に身を置くことで、自分自身が、

相手の捉え方すらも変わってしまったこと。

 

過去は絶対に変わらないのに、どうして歪んでいると感じてしまったのでしょう。

 

手紙の中には彼女だけではなく、当時の私もいました。

彼女の中にいる私でした。

誰かが私のことを考え、

生身の自分と、生身の思いをぶつけてきてくれる。

傷つくことすら心地いいような感覚を、

ずっと長い間忘れてしまっていたことに気づき、

涙が出ました。

 

言葉にすると陳腐な思いはたくさんあるけれど、

年齢を重ねたからといって失ってしまってはいけないことはたくさん、たくさんあるのです。

 

と、いうことを手紙を読み返しながら感じていましたが、

とてもとても結婚式で披露するわけにはいかないので、

当日は『花嫁取扱説明書』でお茶を濁し、

個人的に手紙を書こうと思います。

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