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教会、少年、父親、恋。
こういうキーワードから、重松清『疾走』のような物語だと思っていました。
まったく違いましたね・・・。
『疾走』はどこまでも暗闇で心臓を直接ひっかきまわされるような痛みをともなう小説でしたが、こちらは主人公の心情を感じようとするとスルッと逃げられるような、どこかつかみどころのない空気感(空洞)をはらんだ作品でした。
上映時間237分。長い。DVDも上下に分かれています。ツタヤディスカスでは上巻しか届かず、観終わってすぐにレンタルショップに行って下巻を借りてきました。最初からそうすればよかった。
神父の父を持つユウ。亡くなった母の遺した「いつかマリア様のような人を見つけなさい」という言葉を胸に、穏やかな日々を過ごしていた。しかし父にカオリという愛人ができてから、生活は一変する。カオリに逃げられた父は豹変し、ユウに懺悔を求めるようになった。ごく普通の高校生であるユウには懺悔すべき罪が思い当たらず、やむなく「罪を作る」ことをはじめる。それが「盗撮」。プロの盗撮技術を身につけたユウだったが、性的興奮は得られない。そんなある日、ユウは「マリア」と出逢う。不良軍団をカンフーで叩きのめしていた少女ヨーコ。罰ゲームで女装していたユウは彼女に加勢し、「サソリ」と名乗って別れる。ふたりは互いに恋をした。性欲を憶えた。が、実はヨーコは父と復縁したカオリの娘だった。兄妹として同居することになったふたりだが、ユウは自分が「サソリ」であることを伝えられない。しかし、彼らの前に「サソリ」と名乗る女が現れた。新興宗教ゼロ教団の幹部であるコイケ。ふたりの高校に転校してきた彼女は、自分がサソリであると思わせヨーコに近づき、家庭に入り込み洗脳し、ユウを追い出してしまう。ユウはヨーコを救うため、ゼロ教団に戦いを挑む。
盗撮、新興宗教、近親相姦、レズビアン。アングラの世界がこれでもかと詰め込まれています。しかし後ろめたさや排他的な精神はいっさい存在しません。アクロバティックなカメラワークとスピード感あふれる場面展開で、息をつかせることなく一気にその変態的世界観を一枚のカンバスにまとめあげています。
愛、という言葉。
人が生まれてはじめて受けるべき愛、それは親からの愛だろう。そして成長する。やがて赤の他人を好きになる。性欲が芽生える。愛という崇高な精神からはかけ離れた、汚い、醜い感情に支配される。神が作り上げた大いなる矛盾。しかし愛に紡がれた糸が命を包む布となるには、その汚泥に踏み込まなくてはいけないわけで。それが人の原罪であるともいう。
私はクリスチャンではないから、原罪と言われてもピンとこない。だが、学生時代三浦綾子に傾倒していたため、愛が崇高であることは知っている。愛が忍耐強く、情け深く、妬まず、奢らず、高ぶらず、礼を忘れず、利益を求めず、怒らず、恨まぬものであるべきことも知っている。そして信仰の世界にあるその定義が一種の理想となってしまっていることも今となっては感じずにはいられない。
親から虐待を受け、家族という共同体に不信を抱くヨーコとコイケ。罪を懺悔することで父からの愛を得られると信じ己を保つユウ。三人は人として満たされるべき第一の器を空っぽにしたまま第二の器を磨いていく。だからこそ、矛盾をたやすく飛び越える。あまりにも純粋に、むきだしで、愛を求めるがゆえに。
それでも愛に飢えた悲愴感は誰にもありません。ばかばかしくて、滑稽で、不気味で、それでいて呆れるくらいに真剣です。
次から次へとつむじ風が吹き過ぎていったような237分の空洞の中で、唯一心に入り込んできたこと。それは、ユウとヨーコの出会いを「奇跡」と呼んだこと。
赤の他人同士の間に愛が生まれる。それは運命でなく奇跡である。
評価:★★★★☆(3.8)
~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~
4時間というくそ長い尺にも関わらず一気に観れました。ぐうたらな僕が、「上」を見たその日にレンタルビデオ屋に「下」を借りに行くぐらいですから、観ててなぜか夢中になってしまう映画なのは確かです。ストーリー自体そんなに面白くないと思うんですが、キャラクターに個性がありおかしな奴ばかりなので、この先何が起こるかつい気になってしまいますね。ただ、それぞれのキャラクターに魅力があるわけではないです。僕は主要人物3人は全員好きじゃないですから。みんな親の愛をまったく受けていないのはわかるんですが、それにしてもここまでおかしくなるとは思えないですから、感情移入はできませんでした。
愛は理屈じゃないというこの映画のテーマは非常によく伝わってきました。誕生日に手をつないでどっかデートして夜に夜景の見えるところに行ってプレゼントを渡すとかそういうのは愛ではないと思いますし、この映画で言うように愛=勃起=変態だと思います。また、この映画はどちらかというと愛を賞賛して、キリスト教も新興宗教もすべてひっくるめて信仰を批判しているような描き方ですが、信仰という同じく理屈ではないものと対比する描き方もなかなか良かったですね。
ただ、変態の描き方には甘さを感じましたね。僕は自分では盗撮はしませんが、盗撮もののAVはけっこう好きなジャンルなので、それなりのこだわりがあります。たぶんこの監督は盗撮を映画の重要な題材にしているわりに盗撮自体にはそんなに興味がないんでしょうね。盗撮は当たり前ですがとても難しいです。僕は実際に盗撮界ではそれなりに名の通った人の撮った映像も見ていますが、彼らは日々撮影方法に苦悩し技術を極め本当に信じられないような複雑なアングルを駆使し、強い意志を持って玉砕覚悟でパンチラを撮っています。その人達に比べたら主人公のユウは盗撮のプリンスと言われているわりには、血の滲むような特訓をしているようなシーンも特になく、プリンスと呼ばれる説得材料は何もありません。この映画では盗撮はストーリーの重要な鍵になっていますから、そのへんはもうちょっとこだわってほしかったですね。
ラストの方の、白い部屋でユウの家族とコイケとその仲間達が鍋を食っているシーンはまったくもって意味不明でしたね。コイケはその生い立ちから考えて家族のだんらんなんか興味なさそうだし、あえてユウに見せつけるためにこういうことをしたのでしょうか。しかしユウ自体も家族のだんらんにこだわりがあるとも思えないし、そういうことをする意味がわかりません。また、同じくコイケがヨーコに、ユウの勃起しているチンポを切り落としてしまえと命令するシーンがあるんですが、ここでヨーコがとまどう意味もわかりません。ヨーコはこの時はユウの事も男(キリストとカート・コバーン以外)の事も嫌いなはずですし、洗脳されていてコイケには心酔しているはずですから、切らなきゃだめでしょう。まあこういうふうに要所でよくわからないところもあったのですが、全体的に見たらまあまあの映画でした。評判ほど良いとは思わなかったですが。
評価(★×10で満点):★★★★★★