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19歳の監督によって作られ、カンヌ映画祭にて話題になった注目作です。
どこにでもあるような学校、いつもと同じ昼下がり。
ひとりの生徒が、自ら命を絶ちました。
問わず語りに語られる、6人の高校生の心象風景。
「ごく普通」と評される彼らにも、人には言えない悩みをそれぞれ抱えていました。
抑圧、恐怖、恋、偏見、侮辱、欺瞞・・・。
誰かに理解されたいと切望しながら、
それが不可能であることは感じ取れる年齢で、
幼い欲求と自制の葛藤にひとり悶え苦しみ、
行き場のない衝動に涙を流し耐え続けるのです。
その出口が光であれ闇であれ、
答えはさしのべられるものではなくて。
深い深い孤独の淵では、
「生きろ」というありふれたメッセージもただ虚ろにしか聞こえない。
そして明日、誰かがいなくなっても、この世界は変わらず回る。
繊細な魂の綻びを繕うのは、優しさの糸とは限らない。
そういう選択を迷う瞬間も、あったかもしれない。そう誰にでも。
評価:★★★★☆(3.8)
<おまけ:ヤスオーのシネマ坊主>
いい映画です。監督が自らの体験を基にして作ったというだけあって、一つ一つのシーンに圧倒的なリアリティがありますね。しりとりのような場面転換による時間軸のずらし方は僕はそんなに好きじゃないんですが、そういう手法の是非なんかどうでもいいぐらい、とにかく心に響いてくる映画です。「自殺」という問題については、世の中のあちこちでわかったようなわからないような抽象的な議論が繰り広げられていますが、そんなしょうもない議論をする奴らはこの映画を観たらいいんですよ。この映画を観たら、「自殺」という言葉を口に出すのもしんどいぐらいの気分になりますから。
この映画は冒頭で誰かが自殺したことをまず示し、その後時間軸を戻して、主要な登場人物6人へのインタビューシーンを織り交ぜながら、その日のこいつらの学校での様子を描いています。6人はそれぞれそれなりに悩みを抱えており、「自殺したのはいったい誰やねん?」と考えながら観てしまうので、ミステリーっぽい面白さもありますね。それも最後まで誰が死ぬのか僕はまったく分からなかったので、かなり楽しめました。
ちなみに、僕はこの映画の主要な登場人物6人全員嫌いです。みんなそのへんにいるしょうもない高校生なんですが、インタビューシーンでは、「おれの話を聞いてくれよ。おれはこれこれこういう人間なんだよ。お前らおれのことに興味をもてよ。お前らおれの気持ちを理解しろよ。」というような傲慢さがプンプンしていますからね。そして、実際の世の中もこういう人間ばかりです。だから、ラストの誰が死んだか分かった時も、なぜその子が死を選んだのかについて映画の中では一切語られないんですが、何となくその子の気持ちは分かりましたね。今思えば、この子以外の奴が自殺するというオチは考えられないです。すごく納得できるラストですね。
さや氏は「孤独」が死につながったと言っていて、それはそのとおりなんですが、図太い人間というのは、たとえ自分が本当に誰とも心が通じ合っていない孤独な境遇であっても、自分が孤独であると認識できません。自分が孤独であると認識できるのは繊細な人間だけです。僕が今まで生きてこれたのも、多少の図太さがあったからこそだと思いますね。そういうことも考えさせてくれる映画でした。もちろん点数は満点です。
評価:★5/(★5で満点)