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♪天の神様の言うとおり~
地域差があるみたいですね。我が家の歌詞は友達にくらべてお下品でした。家柄の問題か・・・?
友達から出産のおしらせがあったので、贈りものを選びに行きました。
しかし、ベビイ用品はかわゆらしい。
結局赤ちゃんでいるのは一瞬なのでしょうが、その時期のものがいちばんかわゆらしい。実際のお母さんは装飾品よりも実用品のほうがありがたいのかもしれませんが・・・。実用を知らない選ぶだけの側としては、あれもー! これもー! 迷っちゃう!
結局、自分の趣味で、かわゆらしいスタイを選んでしまいました;
姪っ子も甥っ子ももうすっかり大きくなってしまったので、選ぶ楽しみが減りました。「もうちょっとちっちゃくいてよー」と言いたくなります。

『たそがれ清兵衛』は未見で、『武士の一分』を先に観てしまった。山田洋次監督による藤沢周平時代劇の二作目にあたります。
舞台はおなじみ、架空の海坂藩。時は幕末、西洋風砲術を学ぶ片桐宗蔵は、回天の時運とは無縁のごとく友人や家族、女中のきえに囲まれ穏やかな日々を過ごす。剣術しか取り柄のないような宗蔵の心の安寧となるのが女中のきえ。お互い心を寄せながら、超えられない身分の壁に二度も離ればなれになってしまいます。
その恋を横糸に、縦糸を紡ぐのは、武士としての矜持。
禄はわずかで身なりといえば袴はよれよれ、月代はボーボー。しかし曲がったことは許せない、己の信念のためなら日中女を背負って街中を歩いても平気。それがサムライとしての誇りと考える宗蔵。脱獄した旧友を追手として斬らねばならなかった苦しみ。しかし相手を絶命させたのは皮肉にも鉄砲という近代的武器だった。幕末、斜陽の時代。誰よりも武士であろうとした男の、武士として下した最後の決断が、そのまま時代の決着であったのかもしれません。
ところどころ、山田洋次らしいユーモアをはさみながら、描くのは人間の心のぬくもり。誰もが愛すべき人物であり、不器用な宗蔵らしいプロポーズも、その想いを受け取るきえの純粋さも、それまでの場面の悲痛さを柔らかい布で拭い取るような優しさに包まれます。
永瀬正敏の殺陣は少し物足りなさもありましたが、いかにも武骨者の下級武士という風体が似合っていました。松たか子との立ち姿も、キムタクと檀れいに較べると親しみやすく、ふたりの恋を応援したくなるような気にさせられます。脇にいたるまでも丁寧に描かれていますが、とくに田中泯の存在感は圧倒的。『ハゲタカ』といい、『龍馬伝』といい、空気が一気に張り詰めるような緊張感を醸し出せるのはこの人ならではですね。
評価:★★★★☆(3.7)

日本の夏、といえば、
縁側、朝顔、高校野球・・・。
そんなイメージは、携帯電話や携帯ゲーム、インターネットがあたりまえになったこの社会でもなお不変。
先輩の夏希から「アルバイト(恋人のフリ)」を頼まれ、戦国時代から続くという長野の旧家にやってきた数学オタクの健二。そこは昔ながらの日本家屋、親戚はおよそ20人、取り仕切っているのは夏希の曾祖母の栄。核家族で育った健二はとまどいながらも新鮮な喜びを得る。←ここまで前時代的。
ここから近代的→世界で10億人以上の人々が集う仮想空間・OZ。もはや世界はOZを中心に回っていると言っても良い。ところが、何者かのしわざにより一夜にしてOZは大混乱に陥ってしまう。その犯人として挙げられていたのが健二だった。健二は陣内家の力を借りて、見えざる敵との戦いに挑む。
仮想空間で人々と交流しながら進んでいくゲームはもはや主流となりつつありますが、どーも苦手です。嵌っていくと抜け出せない怖さがあります。OZはもちろん架空のシステムで、それが実現されるとも思い難いですが、これはこれで便利で楽しそうです。それと背中合わせなのが、システム乗っ取りによる社会混乱。ハッキングによる犯罪は『ブラッディ・マンデイ』でも描かれているように、もはや珍しくないテーマです。それなのにグイグイ物語にひきこまれていくのは、前近代的要素と近代的要素がうまく行き来し、絡み合い、対比というよりは融合に近いかたちで描かれているところです。蚊帳と携帯電話。畳敷きの部屋とスパコン。花札とカジノ。レポート用紙とキーボード。いっけんちぐはぐな取り合わせが、不思議と一体感を醸し出しているのです。
旧家の描き方も面白かったです。女性は料理を作り台所に詰めている。男性はソファでビールを呑んでいる。しかし実権を握っているのは女で、男はひとこと言えば抑えつけられる。それでも合戦に行くのは男、後方で見守る女。しかし女も戦場に立つ。力を合わせて敵に向かう。
『時をかける少女』を匂わせる、高校生の純情な恋模様も、一服の涼としてきいていました。
ウチは大家族ではないけれど、花札、やっていましたね。好きでした。しかしルールをすべて忘れてしまいました。もう夏休みに家族全員がそろうことはないだろうけれど、ちょっと懐かしくもなりました。
評価:★★★★☆
~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~
この映画は出来としては素晴らしいです。脚本もしっかりしているし、絵もきれいです。ストーリーの運ばせ方、盛り上げ方がとても上手で、ここまで観てて純粋に面白いと思える映画はなかなかありません。世界の危機を一つの家族が救うというムチャな設定も、まあアニメなのでそれぐらいムチャな方が面白いです。俳優が声優をやっていること、エンディングの歌が山下達郎なことなども、幅広い人たちに観てもらうという点では、悪くないと思います(僕は俳優の声優は聞きとりにくくてイヤだし、エンディングは歌が始まって3秒で止めましたが)。さすが僕が満点をつけたアニメ「時をかける少女」の監督と脚本家ですね。この二人は才能があります。
ただ、この映画はどんなに文明が進歩しても、「人と人との繋がり」「家族の絆」といったものは変わらず大事なんだよ、ということを言いたいんでしょうけど、僕は逆に「家族の繋がりってほんまにうっとうしいなあ。主人公の少年もこんなうっとうしい親戚が多い女と結婚したら絶対後々後悔するぞ。」と思いましたからね。面白さという点ではこの映画は満点と言ってもいいですが、何かを得たりとか、感動したりとかは、まったくなかった。だからやっぱり僕にとってはこの映画はイマイチなんでしょうね。
まずこの映画の家族の輪の中心と言ってもいい栄というババアがうっとうしいです。僕は自分が何も世話になってなく、かといって他の人より秀でた能力もない人間に偉そうな態度をとられるのが一番嫌いな人間なので、まあ僕が主人公だったら一日目の晩で速攻帰っているでしょうね。このババアは一応社会がパニックになった時に各界の実力者のような人たちに電話で叱咤激励していますが、「お前は立場も責任もないからそりゃ言いたいこと言えるだろうよ。そもそもパニック状態の時は電話回線も負担がかかっているんだから、クライシスマネジメントについて何の知識もない素人のババアのオナニー電話なんか世の中の迷惑なだけだろ。」と実際に四日前に上司に危機管理対策の書類作成の仕事を押しつけられた僕は見てて嫌悪感しか持ちませんでした。
他の親戚どもも一人たりとも好きになれなかったですね。もちろん閉鎖的な田舎の大家族の嘘臭さや薄っぺらさに満ち満ちた人間関係もあるんですが、オッサンどもが警察官、消防士、自衛官、水道局員、医者、漁師、電気屋など、揃いも揃って地域社会と密接な関係のある職業に就いていて、それぞれが家族の緊急時と社会の緊急時が重なった時のバランス感覚を持っていることが逆にうっとうしかったですね。僕も地域社会と限りなく密接な関係のある職業に就いていますが、この映画ぐらいの非常事態なら、いくら社会がパニックになろうが仕事なんかうっちゃって家族を優先する自信があります。
評価(★×10で満点):★★★★★
岡田さんさあ・・・
なんでレスター使うの
もうわかってたよ出てきた時点でサヨナラって
落合も見越してたから9回に浅尾出したんでしょうが
思うツボ!
中日に2タテは覚悟していたけど、今日は勝てたよ
こんな試合が続くんだろうな
やっぱり理解できん、岡田采配・・・
にわか雨が通りすぎたので、思い立って散歩に出かけました。
春日大社と藤は深~い関係にありますが、
その有名な「砂ずりの藤」は、もう見ごろを終えたようです。
残念。
が、万葉植物園の藤は、早咲き、中咲き、遅咲きと見ごろが分かれていますので、
境内の藤が終わっても、まだまだ楽しめます。
藤は好きです。
色も好き、かたちも好き、咲きかたも好き。
しだれて咲き誇る姿は愛らしくて、あでやかで、気品があって、なんともいえない。
そう、美しい女性のような。
『源氏物語』でも、初恋のひとは藤壺。生きうつしの若紫。朧月夜と出逢うのは藤の宴。最初の結末は藤裏葉。
古来より美の象徴とされてきた花。
八重桜ならぬ、八重藤。かわいらしいのに、「龍」などといさましい名前が。
白い藤もあるのですね。かきつばたとの共演。
いろんな季節の植物が植えられています。その脇には万葉の歌。花の名前を想いにひっかけて詠う、そのセンスと心が好きです。
レンゲやシロツメクサも咲いていました。
植物を愛でながらひろ~い庭園内を歩いていると、心がおだやかになります。500円かかりますけど。
歩き疲れて、《西寺林スイーツ》でひと休み。
いちじくのパウンドケーキでした。