| MENU | MENU | MENU | MENU | MENU | MENU |
さやさんが運転免許を取りました。
僕も運転は苦手でしたね。
男性はストレートで合格する人も多いのに、4回も落ちたせい自分は明らかに運転に向いていないと思い、免許を取ってからはや10年、ずっとペーパードライバーでしたね。
ただ、ちょっと前に思い立つことがあり、実家で父親を助手席に運転の練習をしました。
僕の実家は大阪南部です。なので練習地域は、堺市~岸和田市ぐらいです。周辺を走る車のナンバーは65%が「和泉」ナンバー、15%が「堺」ナンバー、15%が「なにわ」ナンバー、5%がその他のナンバーですね。
とにかくみんなスピードが速いし、車間距離は短いし、車線変更が多いし…インターネットで調べても「制限速度+20km」「車間距離1台分」が普通の走行と書かれているのに、なぜ煽られ割り込まれるのか…色々嫌な目にも遭いました…というか練習するたび必ず嫌な目に遭いました。僕は自分の父親の運転が荒いことに辟易していましたが、別にこの地域ではごく一般的なドライバーだとわかりました。僕は自分の父親の運転予測がすごいことを尊敬していましたが、この地域ではそれぐらいの能力がないと怖くて走れないとわかりました。
しかし奈良では父親もおらんので、仕方なしに1人で運転してみると、まったく怖くありませんでした。みんな車間を空けてくれるし速度も遅いし。もう初日で運転に対する怖さはなくなりましたね。京都、滋賀、和歌山、大阪北部なども走ってみましたが、全然へっちゃらです。
だからさやさんもここで練習したらいいと思うんですけどね。彼女は別に下手ではないんですが、ちょっと運転にビビっているところがあります。泉州地域を1日運転したら、奈良ならだいぶ気楽に運転できると思うのですが。僕は最近実家に帰ったときに泉州地域を走ったのですが、やっぱり怖かったですからね。彼女もその時一緒にいてて、少し怖がっていましたが、この時は昼間でしたので、怖さは夜の比ではありません。夜の国道26号線を岸和田から堺まで走った時は、普段寝付きの悪い僕があまりの気疲れで夜の12時には眠りについていましたから。
いつの間にか最後の受験者の走行も終わっていた。
「じゃー、教習所に戻りますね。これから方向変換の試験を行いますから」
(・・・はいはい、私以外は、だろ・・・さっさと原簿返してくれよ・・・)
いつ補習の予約を入れようかと考えていたところ、教官は運転しながら「○○さん」と私を呼んだ。来た、宣告。
「自転車いたでしょ」「・・・ハイ・・・」「あれねー、ブレーキどうしようか迷ったんだけどねー。いちおう、判断基準は5mなんですよ。僕が見たところ、通過する手前ではちょっと離れてたんでね。セーフです」
ェエェエェエェエ(゚Д゚)エェエェエェエェ
てか、それあかんのんちゃうん!
ここでも「イヤ、落としてください!」という勇気は私にはなかった。頭から完全に飛んでいた方向変換の手順をあわてて見直すハメになった。
かくして卒業検定は修了した。とってもうれしくない一発合格であった。ちなみに点数は70点合格で70点である。相当なオマケのオマケがついたことは間違いない。結局、追加料金無料コースにしたにもかかわらず、帳尻のせいおかげで追加教習はわずかであり、非常に割高となってしまった。教習所も少子化の影響で運営が厳しくなり、追加料金無料コースは受かりやすくしていると聞くが、私のような劣等生にまで適用して良いのだろうか。仮に私が初心者マーク適用中に事故を起こすと、教習所の名前に泥を塗ることになるのだが・・・。
ちなみにその日受けた教習生は全員合格であった。いちばんの年配が想定通り落第するのはかろうじてまぬがれたようだ。
本試験場では連休前のせいか受験生がいつにも増して多く、とにかくやたらと待たされたおかげで疲れ切った顔の写真になってしまったが、ともかくも、これで私はわざわざパスポートを持ち出さずに済むお手軽な身分証明書を手に入れることができた。
さー、これでスーパーの特売日に自転車の両ハンドルに荷物ぶらさげてフラフラ運転する必要もなくなるぞー♪
と、言いたいところであるが、大きな問題が残されていた。
車庫入れである。
教習所で車庫入れを教わったのはわずか一回であった。しかも余り時間のオマケで教えてもらっただけで記憶から飛んでいる。縦列駐車や方向変換と手順は同じなのかもしれないが、当然ながら街中にはポールはない。「ポール何個目」という憶え方しかしていない人間が、両脇に停まる車にぶつければ大問題という事態にひとりで対処できるわけがない。と、いうわけで、契約駐車場の両脇に車があれば、結局自転車で出かけ大荷物を提げて帰る日々である。これでは何のために免許を取ったのかわからない。(前方駐車という手もあるが)道理で、卒業試験の時に「車庫入れができなかったら来てねー」と一回限定無料講習クーポン券が配られたわけだ。
よってしばらくは「走るだけ」して車庫入れはツレにしてもらうカーライフである。
オワリ。
-----------------------------------
終わってみれば苦労したことも懐かしい一ヶ月半でした。とはいえまだまだ未熟者なので、周囲には迷惑をかけまくり、対向車線から追い抜かれることもしばしば・・・。しかし奈良のドライバーさんは基本、みなさん初心者にやさしいです。
どうしたら上手くなれるのでしょう。免許を取ったもののすぐペーパーになる予感がしてなりません。
みきわめは前の時間の教官のアドバイスに基づき二時間連続講習を受けることにした。そのおかげで、曜日ごとに分かれている卒業検定のコースをじっくり練習することができた。検定コースは2種類あるが、一時間だと片方しか練習できなかったそうなので、言われたとおりにしておいたのは幸いであった。
が、不幸だったのはこの教官が、今まででいちばん厳しく怖く毒舌であったことである。
「ハァ? 今まで何やっとったん?」「オイオイ、どうなってんねん!」「さっきも言うたやろ!」もう卒業間近(のはず)だというのにこのていたらく。ここ数時間の教官は比較的ユルかったので自分は上達しているのだと勝手に思い込んでいたのだが、その過信を一気に足元から崩してくれたのは当初の目的からすれば有難いことなのかもしれない。しかしここまできてまさかのイチからやり直し的指導である。走り出してすぐ二時間講習にしたことを深く後悔した。
しかし、この教習所に限らないのかもしれないが、教官たちがおしなべて巧みなのがアメとムチ方式である。襤褸雑巾のようになりながら運転すること一時間半、いつしか鬼教官は影をひそめ、「そうそう、その調子」「最初と全然違うやん」「できるようになったで」と突如謎の誉め殺しが始まった。ようやく教習所に戻り方向変換のおさらいをして、教官は卒業検定の申込書を取り出した。「まあ、大丈夫でしょう」・・・本当か?
しかし前回のように、「無理です」と即答する元気は残っていなかった。
しかもGWまでに取りたいという欲望がちらついていた。この機会を逃すと、試験場での本試験は連休明けになってしまう。私は甘んじて申込書を受け取ることにした。もっとも無限ループに陥る可能性のほうが高いわけだが。
かくして、卒業検定当日。
ここまで緊張したのはおそらく学生時代に遡るであろうというくらいに緊張していた。同乗者は学生らしき女の子ふたりである。修了検定のような群を抜く手練れならともかく、「そこそこ」の人たちだったので余計に緊張感が増した。そしていきなりハンドブレーキを下げずに発進しようとするヘマを犯した。
それより前に、同乗者の運転を見ていて、私は致命的なミスを犯したことに気づいた。私はいつも午前に予約を取っていて、みきわめの時間も午前中にコース走行していたのだが、卒業検定は午後に行われる。コースは住宅街で、学校も多い。しかも帰宅時間と合致している。そして見慣れない路駐の車も多い。あまりにも異なる風景に、早くも補習は午後にしよう・・・と考えていた。
そして違うのは風景ばかりか、なぜか交差点に入るたびに黄色になる信号もであった。「ナンデ!」と思わず口に出てしまうほど、次から次へと黄色なのである。停まったほうがよかったのか・・・でも急ブレーキになるし・・・と冷や汗が流れっぱなしであった。
そして最大の難所と言われる通行人の多い通りもくぐりぬけた。ゴールは目の前である。ほっと息をついたのもつかの間、一気に血の気がひいた。視界の端に、立ち止まっている自転車が映ったのである。私は待ち人がいるにもかかわらず、横断歩道を通過してしまったのだ。反対側から進入しようとする車に気を取られてしまった。
ガビ━━━━━━(゚A゚;)━━━━━━ン!!
やっちまったな!
ボーゼンとする私に、教官は機械的に言い放った。「ハイ、そこの信号越えたところで停車してください」
あれ、ブレーキ踏まないんだ・・・ああ、もうすぐゴールだからだな・・・。
後部座席に移った私は、完全に魂を抜かれた状態であった。
3時間連続の応急救護の学科において、教官はほぼ世間話に終始していた。地震の話から予知能力に派生し、果ては飼い犬と体力自慢に至るまでラインナップは多彩であり、授業をマトモにやれば1時間半ほどで済むのではないかという勢いであった。
途中でなぜかプロ野球の話になり、教官は4人の生徒(私以外男性)に対し端から順に「どこのファン?」と尋ねていった。巨人、阪神、興味ナシ、というありふれた回答が並ぶ中、私はひそかに考えていた。
(ここでオリックスと言うと巨人ファンの教官はいったいどのような反応を示すだろうか・・・いや、ここはあえてさらにマイナーな西武と答えてみようか・・・藤井寺球場によく行っていました、とか・・・)
ところが私の手前で、なんと教官は話をまとめて終わらせてしまった。私の深謀遠慮は徒労に帰した。おそらく私が女性だからであろうが、性差別もはなはだしい。おそらくそこの3人の誰よりもプロ野球については熱く語れる自信がある。しかしそこで「教官! 私はオリックスです!」と自己主張するわけにもいかないので、その場は黙って拳をひっこめた。
さらに話は血液型に至った。「僕は何型と思う?」と訊かれた時に、つい「A型」あるいは「O型」と答えてしまうのはなぜであろう。人口比率からして無難な方を選んでしまうのは大衆迎合的選択である。とわかっていながらも思わずどちらかを口にしてしまう。私の場合、たまに「A型?」と言われるくらいで、たいてい「うーん、わかんない」と言われる。そして「AB型」と言うと「ああー!」とやけに納得されるのがどう受け止めていいのかわからず複雑なところだ。それはさておき、偶然ながらその場にいた4人は全員血液型が違った。教官は少女雑誌に載っているような血液型別性格を滔々と述べた。「AB型は頭がいいんだよ」。そんなことは決してない。
もちろんきちんとした実習も行われた。金髪碧眼の美女(名前もあったが忘れた)を相手に人工呼吸と心臓マッサージの練習である。思いのほか体力が要った。しかも人工呼吸がヘタクソで空気が漏れまくっていた。実践で使えるかどうか怪しい。
第2段階では原付講習も希望で行えるようになっている。「乗ることはないだろうけど、受けておいたほうが良いかな?」とツレに言うと「やめたほうがいい」と即答されたため、あきらめた。
4月も下旬に入っていた。半年計画は仮免にストレート合格したことで、3ヶ月計画に短縮されていた。そしてさらに欲望は深まる。「GWまでに取れたらいいな~」
過程はいつの間にかみきわめを残すのみとなっていた。
奇跡的に仮免を得たことで、路上教習が始まった。
これまた、「じゃ、行きましょーか」とのひとことでいきなり教習所の外へ出ることになる。
ちなみに、教習所は住処とは離れているためまったく来たことがない土地にある。土地勘皆無の道を、今どこにいるのか気にとめることもできずただ言われるままに無我夢中で車を走らせるだけであった。
教習所のコースでは40km/hを出すのも恐怖であったが、路上ではそうもいかない。
「ここは制限速度50km/hですよ~。もっと出して~」
怖い。
だが幸いなことに、交通量は非常に少ない。まっすぐの広い直線道路は前も後ろも視界の拓けた状態である。次第に恐怖感は遠のいていった。変わりばえのしない場内よりも、よほど「楽しい~」とさえ思ってしまう、ありえない余裕ぶりであった。もちろん最初だけのことである。外に慣れる(はずの)頃には、またまた教官の厳しいチェックにさらされる毎日であった。
そんなアップアップの中、規定の学科を受講できず、1週間のブランクを開ける羽目に陥ってしまった。すでに4月も半ばを迎えていた。1ヶ月という制限つきの毎日コースの期限が切れた。申込をした時の「たいていの人は1ヶ月で取れますから♪」という受付のお姉さんの笑顔がよぎった。
しかし3月には溢れ返っていた学生の姿はめっきり少なくなっていた。おかげで毎日の予約はほぼ欠かさず取ることができたうえに、複数教習のはずの駐停車や高速教習を独占することができたのはラッキーだったかもしれない。教習所から遠い高速道路まで行って帰ってと2時間連続で運転するのは非常にキツかったが。しかも高速代を往復800円支払ったのだが、複数なら400円で済んだのだろうかという気もしないでもない。
危険予測のセット講習はさすがに複数人だった。学生風の男女2名と私である。私はいちばん最後に運転することになった。交替で運転者の様子や状況を見て危険な箇所や改善点をメモするのだが、「上手いなあ」という感想しかなかった。
戻ってから危険予測についてのディスカッションを行う。しかし私も含めて、他人の運転をあれこれ批判するのは気が引けるのか、ほぼ教官しか喋らない。先に運転した2名については、一時停止の方法やら駐車車両の避け方やら、具体的な注意を述べた。で、私については、
「視野が狭い!」
と、言い切った。
要するに前方のすぐ近い部分にしか注意が向いていないということである。今まで幾人もの教官に指摘されてきたことではあるが、今回の課題である危険予測以前の問題ではないか。
「あんたが危険やないか・・・危険そのものやないか!」
『さくら心中』のかの迷台詞が、脳内変換され耳元でエコーした。
ひとりどんよりと雲を背負い最後尾でカルチャールームをあとにする。第2段階も半分を過ぎていた。今挫折するわけにはいかない。