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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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~ヤスオーのシネマ坊主<第2部>~

 

 今流行りの自然体を強調したのんびりとした映画ですね。同じ路線の演出の映画で「かもめ食堂」という映画を見た時は、「ああこういう映画もいいなあ」と思いましたが、僕は基本せっかちなので、もうこのテの映画はあまり好きではありません。おまけにこの映画は尺も長くて、全体的にチンタラしたムードを感じてしまいます。決して退屈ではないので、まあ悪い映画ではないんでしょうけど、別に感動もしませんでしたし、どうしてこの映画が巷の評判が良いのかよくわかりませんでした。

 簡単に言うと、主人公の完璧主義の女性が、子どもがきちんと生まれなかったことから人生の計算が狂ってしまって、ちょっと精神状態がおかしくなってしまうのですが、夫に支えられて立ち直るという夫婦愛を描いた映画です。夫の方は昔自分の父親が目の前で自殺したとか何とかの過去の大きな悲しみを背負った人間という設定なので、実に飄々としていて、必要以上に他者の心に踏み込まず、他者との距離をつかず離れず一定の間隔に保ちながら周りの出来事を客観的に受け止めるというはっきり言って僕の嫌いなタイプの人間なのですが、この人が精神が壊れていて感情がむき出しになっている妻の木村多江を包み込むみたいな感じで支えます。

 この映画で感動するとしたらここしかないので、たぶん夫のリリー・フランキーの愛情や温かさに感動すればいいんでしょうが、木村多江みたいなきれいな女性が奥さんなら、たとえその人がちょっと壊れていったとしても、僕でも逃げないしずっと一緒にいて支えてあげますけどね。リリー・フランキーレベルのルックスで定職のない男なら、別れて次にどんな女性と結婚できるかを考えた場合、支えることそのものが打算とも考えられます。だから一緒にいて支えることで感動するのはおかしいような気がしますけどね。

 ちなみにこの映画は夫婦の10年間を描いていつつ、その10年間で実際に起こった池田小の事件などの有名な事件を、法廷画家の夫の目から描いているんですが、それと本筋の夫婦愛の話のカラミがいまいちよく分かりませんでした。夫は法廷にいるんですがこの夫は特に事件についてああだこうだ言うわけではないですし、妻なんかまったく関与しません。つまりこの映画の監督は「社会の事件に関心を持たず、夫婦はその二人の空間だけで生きたらいい」とでも言いたいのでしょうか。少し解釈が難しかったですね。

  評価(★×10で満点):★★★★

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ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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