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今日は1月17日。
忘れられない夜が、今年も明けました。
1997年、私は大阪に住む高校1年生でした。
午前5時46分。ぐらっ、ときて、ベッドの上で目を覚ましました。
「ああ地震か」
反射的に布団にもぐり体を丸めましたが、尋常でない揺れに見舞われたのはその直後。
南に頭を向けて寝ていた私は、南北に激しく揺さぶられ、
丸まったままの姿勢で、全身の血が引いていきました。
頭の上にどさどさと衝撃。天井が落ちてきたのだと思い、悲鳴を上げました。
ようやく揺れがおさまり、次に訪れたのはぞっとするような静寂でした。
世界はどうなってしまってしまったのだろう。布団をはぐのに躊躇しました。
その時、母の私を呼ぶ声が。私も必死で母を呼びました。
思い切って身を起こすと、部屋は元どおりそこにありました。
落ちてきたのは天井ではなく、天袋に入れていた古いアルバムだったのです。
それでもこれが頭に命中していたらと思うと、背筋が寒くなりました。
電車は全線止まっており、学校も休校。
一日じゅう、テレビは神戸の惨状を伝えていました。
恐怖も抜けきらない翌日。
電車はいつものように人を呑み込み、吐き出していました。
授業も、先生が冒頭にその時の話をするだけで、いつものように進められ、
午後からは、予定どおり古典芸能鑑賞が行われました。
電車でわずか30分、その電車すら止まっているすぐ隣の地域では、
まだ何人もの人が瓦礫の中に閉じこめられているというのに、
私たちは歌舞伎なんて観ている場合なのだろうか?
感想文を書く前に、もっと考えるべきことがあるのではないか?
学校すらなくなってしまった人もいるのに、
どうして私たちは、来週のテスト予告に追い立てられているのだろうか?
やるせない気持ちの持って行き場がありませんでした。
星がひとめぐりし、街はかつての風景を取り戻しているように映ります。
それとともに、記憶もまた人々から消え去りつつあります。
この季節を過ぎれば、少しずつ震災は過去の歴史へ埋もれていくでしょう。
生きている私たちが忘れてはならない真実があります。
震災によって失われた6434人(約6000人ではなく)の命。
それに繋がる命、家族、夢、恋、未来、輝くべき人生が、
自分にもあるように、用意されていたということ。
「たくさんの人々が亡くなった」という事実ではなく。
どうか、御魂よ安らかに。