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今日は昨年結婚した友達の家に行ってきました。
もちろん、おやつは必須です。
いわゆる「主婦友」?
あんまり人に言ったことのないような話までしてきました。
中華粥と冷麺もいただいてしまいました。
私も人に振るまえるようなお料理を作れるようになりたいものだ・・・。
そして、人を招くことのできるようなお部屋にしたいものだ・・・。
この歳になると新しい友達もできないし、
昔からの友達ともあまり混み入った話もしなくなるし、
つまりあれこれ突き詰めて考えて口を開くことが少なくなってしまうので、
古くからの知り合いなのに話すようになったのは最近の彼女と相対して、
なにやら新鮮な気持ちになりました。
人と人のつながりって、大切ですね。
磨り減っていく《縁》を大事にしていきたいと思います。
山本省吾が打たれ、斉藤悠葵に勝ち星がつかなかった2試合は置いといて、
最近の我が家の笑いはバラエティーよりも阪神戦。
毎日微笑ましい姿を提供してくれています、あの新外国人。
阪神の助っ人外国人のヘタレっぷりは今に始まったことではないのですが、
どうしてこうも見事に外れクジばかり引いてくるのでしょうね。
ヤクルトとか楽天とか、当たりが多いところと違って、スカウトの目が曇っているのでしょうか。
それとも、単にドラフト会議と同じで運が悪いのか。
年間本塁打26本は5年も前の記録だということを差し引いても、
ピッチャーでももう少しマシな構えをするだろうという腰の引けたバッティング、
地域のソフトボール大会などで見られそうなおっちゃんレベルの鈍足と弱肩、
フォローに走る赤星と平野の苦労がなんとなく察せられる守備範囲の狭さ、
つまりどれを取っても、「まだ桜井のほうがマシだろう! 林、早く帰ってこい!」とヤジりたくなる選手なのですが、
ボールを追いかける背中や、ホームに還った選手をベンチで迎える笑顔などを見ていると、
ヤル気がないわけではなくて、必死でやってあの実力なんだな、と。
どうも憎めないというか、愛嬌があるんですよね。
今日の試合、阪神は大敗してしまいましたが、
敗因はズバリ! シモさんを7回までひっぱったことと見た。
真弓監督は前監督とはカラーの違う采配をしますが、
実はそれがスタンダード。
でも結果がついてこない。
ま、一年目ですから、長い目で見ましょう。
交流戦の時期に、阪神-西武戦が甲子園であったら、観に行ってみたいのですが、
どうやら(やはり)甲子園で他球団を応援するのは、命がけであるようです。
しかもこの2チームだったら、今年の戦力で普通にやれば西武が勝っちゃいそうですし。
無事に帰ってこられるでしょうか。

確固たる信教を持たない日本人でも、季節ごとになんとなく宗教行事を行うほどに身にしみている。
ましてや宗教とともに歴史を築いてきた欧州諸国なら、生活が教義に支配されるのは当然のこと。
しかし神を信じる心が、つねに敬虔な祈りとともに在るとは限りません。
1964年、アイルランド。
いとこに強姦されたマーガレット、
美しすぎるために男の目を惹くバーナデッド、
未婚の身でで出産したローズ、
それぞれの「過失」により連れてこられたマグダレン修道院。
そこは更生施設とは名ばかりの強制労働施設。
神から与えられるはずの慈悲も愛もそこにはなく、
少女たちを無償で働かせ、暴利を貪る院長。
思春期の少女の繊細な心を切り裂くシスターからの侮辱、暴力。
外部からの蔑視。
淡々と描かれる絶望的な現実。
宗教という法から切り離された閉鎖的世界に閉じ込められた多くの少女たちの哀しみの結集。
同じ女性として、いちばん大切な時期を奪われた悔しさ、怒りを我がことのように感じます。
中東やアフリカだけではない、ここにも信教に虐げられた女性たちの歴史がある。
今、享受しているこのアイデンティティは、彼女たちの犠牲のもとに成り立っていることを改めて思いました。
そして、彼女たちの苦しみは決してまだ終わってはいないということも。
評価:★★★★☆

ツレの選ぶ映画はたいてい、あらすじを知らないまま観てしまいます。
ですので、この映画、最初は法廷モノかと思っていました。
が、どうやら違っていたことに、途中で気づきました。
主演は、最近知事になった宇宙人ジョーンズさん。
軍人であった彼を追い、軍に入隊した息子が、イラク戦争から帰還してすぐに行方不明になります。
知らせを受けたハンクは、すぐさま基地へ向かいますが、
彼を待っていたのは息子の惨殺死体でした。
誰がどうして、いったいなんのために、息子は殺されたのか。
子を想う父親の、真実への追求が始まります。
見知らぬ土地で不毛な戦いの果てに病んでいく兵士たち。
なのに祖国はその叫びに耳を貸さず、ただ正義をふりかざす。
救いを求めた家族からさえも、理解は得られない。
戦争の先にある利益、効果、そんなもののために命の尊厳はいともたやすく踏みにじられる。
『告発のとき』は邦題で、原題は「In the valley of Elah」。
エラの谷とは、ダビデ少年がわずかな武器で巨人ゴリアテに立ち向かい勝利した場所のこと。
ハンクが息子によく語っていた旧約聖書の伝説ですが、
「勝利とは恐怖に打ち勝つことで得られるものだ」というその言葉。
恐怖とはいったい何か。
人の命をあやめることか。戦場で正気を失ってしまうことか。
正義の御旗のもとにすべてを正当化する国家に洗脳されてしまうことか。
愛する者からのSOSでさえ気づくこともできないほどに。
ハンクが明らかにした真実を提示することは、確かに「告発」なのかもしれない。
だが、PTSDをはじめとする戦争の現実はずっと前から提唱されてきたこと。
今さら「告発」という言葉を使う必要がどこにあるのだろうか。
この結末を「告発」と思い知るか、あるいは「エラの谷の勇気」と受け止めるか、
戦争に対する意識の国民性の違いをあえて配慮するタイトルは必要ないと思う。
評価:★★★★☆(3.8)