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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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2月になりました。

宮古島でオリックスのキャンプが始まりました。

……。


もうそんな季節なのかーーー:(;゙゚'ω゚'):


オリックスにつきまして、
「4番の外国人選手を補強する」と誰かしらエライ人が言っておりまして、
「ペーニャは6番」とも誰かしらエライ人が言っておりましたが、
なんだかいつの間にか、「ペーニャが4番」という風潮になっておりまして。
ギリギリで補強した外国人選手はデータを見たら「メジャーの後藤」みたいな選手らしくて。

つまり、
イデホ → ペーニャ
バルディリス → ヘルマン
後藤 → ベタンコート
T-岡田 → 岡田(減量)
首脳陣 → そのまま

ううん…これでどう期待しろと…。

もちろん、各解説者の予想もブッチギリ最下位らしいです。
そらそうなりますわな。

思えば大成功ドラフトの頃は楽しかったなあ(遠い目)。

金子千尋も平野佳もめでたく単年契約。
つまり今年結果を残して…(以下自主規制)というヤツですね。
ということは、今年一年はフル回転で頑張るということですね。
ということは…。

新婚安達にしてもスポフェスで比較的画面映りが多くオリ嬢を増やした(に違いない)伊藤にしてもローカルでちょいちょい見かける割にはまったく認知度の上がらない佐藤達にしても、その他期待の若手たちにしても、ルーキーもベテランもみんなみんな、フル回転の人たちにひっぱられてどんどんパフォーマンスを見せていけば、きっと…きっと!

まあ、なんだかんだ言っても過度な期待はせずに見守っていきます。
手のひら返しの準備はできておりますから!
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天使の分け前
この社会は、カネのある者だけが得をするようにできている。もちろん、カネを得るためにいろんな努力をして、才をめぐらせて、道を間違えぬよう注意深く生きてきたからこその結果なのかもしれない。だが、いったん道を間違えてしまうと、もう二度と後戻りできないシステムになっている。悔いても時間は戻らない。罪を犯した過去も、顔の傷も消すことはできない。
暴力行為により300時間の社会奉仕活動を命じられた青年ロビー。彼の子を出産した恋人とともに新たな人生を生きようと決意するも、社会はそれを認めてくれない。仕事もなく、被害者家族からは「クズ」と罵られ、家族ぐるみで敵対している恋人の父親からは邪魔者は追い出すとばかりに「金をやるからロンドンへ行け」と蔑まれる。
逃れようとしても逃れられない犯罪者のレッテルと、ともすればひきこまれかける暴力の渦。ロビーを引き戻してくれたのは、奉仕活動の指導者でウイスキー愛好家のハリーでした。
ハリーの導きにより、ウイスキーと出会い、そして光の降り注ぐ道へ歩むきっかけを得たロビー。そして一発大逆転をかけ、ロビーとその仲間は行動を起こします。
舞台はイギリス。国の情勢にはくわしくありませんが、日本も大差ありません。カネはカネのある場所にばかり寄り集まり、ワーキングプアだの格差社会だの消費増税だの、全国民の幸福に満たされた理想とはほど遠い国家となりつつあります。
幻のウイスキーに1.5億円も投げだしたのは、味の違いもわからぬアメリカ人。ロビーたちとはまるで住む世界の違う人間です。人生の「勝ち組」を「負け組」が出し抜く展開は、本来ならば痛快なはずなのですが、そこは日本人との意識の差なのでしょうか。これから生まれ変わって妻子を守っていこうという人間が、カネを得るため悪いことに手を染めてもいいのかな? とどうしてもひっかかってしまいました。
それでも、そのひっかかりが作品の質を損なっているわけではありません。自分ひとりの力ではどうすることもできない社会の仕組みに絶望するロビーの憂い。ハリーの慈愛。「負け組」たちのユーモアにあふれた会話。ドキドキハラハラの一大ミッション。「ああーーーっ!」と思わず声をあげてしまったまさかの決定的瞬間。人生の分岐点へ背中を押してくれた輝く友情。
「天使の分け前」とは、ウイスキーが樽の中で熟成される間、一年間で蒸発する約2%の減少分のこと。2%といえど、量が減ってしまうのは損だなあと思うところを、天使の分け前と表現するなんてとても素敵だと思いました。
人間も、日々の中でいろいろなものを失っていきます。時を重ねれば重ねるほど、得るものよりも失ったものを数えることが多くなりました。
損だなあ、と思うのか、天使の分け前、と思うのか。
そこで人生を照らす光の量も変わってくるのだろうと思います。
人生のわかれ道、ゆく先を決めたロビーの未来にもきっと、光があふれていることでしょう。
ブレス
ひさびさのキム・ギドク。
隠遁生活を経て『嘆きのピエタ』でヴェネチア金獅子賞を獲得する前の2007年に制作された作品です。
デビュー作『鰐』から『受取人不明』『悪い男』の攻撃的で峻烈な感性、『春夏秋冬そして春』『サマリア』の風と光の静かなる美をもって、監督の芸術性は昇華してしまったように感じます。
ギ毒をまだ残していた『弓』以降、『絶対の愛』そしてこの『ブレス』は、あいかわらず言葉ではなく目線や心で結ばれる倒錯的な男女の愛が描かれているものの、それまでのガツンと殴られるような暴力性はありませんでした。
夫の浮気によりそれまでの生活が狂い始めた平凡な主婦ヨン。刑務所で何度も自殺を図るチャン・ジン。面会室で共鳴を憶えたふたり。やがて交錯するその手、その息、その身体。
今までの作品と異なるのは、その常識から外れた愛を俯瞰する「目」が観客以外にもあったことです。
チャン・ジンに面会を乞うたヨンをなぜか刑務所内に通し、次には仕切り版のない部屋へ入れ、自由に触れ合うことを許した保安課長は、モニター越しに彼らの交流をじっと眺め続けます。
『悪い男』においても、みずからの手で苦界におとしめた女の情交をマジックミラー越しに見つめる男がいましたが、それとはまるで意味合いが異なります。世界観に巻き込まれて観客もみずからの常識を覆さざるをえなかったはずの愛への価値観は、時折保安課長と同じ視点に戻らされ面会室でくり広げられるふたりの様子を俯瞰してしまったために、最後まで元の指針を狂わせることはありませんでした。
保安課長を演じたのは監督自身。
監督もまた、みずからの作り上げてきた愛の世界を、俯瞰していたのでしょうか。
そして何を見、何を感じたのか。もしかしたらそこにはその後の隠遁生活に移るきっかけがあったのかもしれません。
また、それまでとは女性の描き方も変化しているように感じます。
女とは、無条件で男を包みこむ聖母でした。身体を受け容れることで男の弱さや傷や感情や生きざまを心で受け止め、それこそが絶対の愛の表現でした。しかし女には男だけでなくわが子もまた包みこむべき対象であり、すなわち母としての包容力も、女が生まれ持った性質であるようにも思います。一度は刑務所へ向かいかけたヨンが夫の制止に足を止めたのは、娘の姿を認めたからであり、その日ヨンは愛する男ではなく娘をその手に抱きました。最新作『嘆きのピエタ』でも描かれているのは母と息子の物語。ギドク監督における女性像は、サマリアびとの女からキリストを腕に抱く聖母マリアへかたちを変えていったのでしょうか。
時の流れは社会も人も変えていきます。
キム・ギドクの持つ毒も変質し、今回も心を麻痺させるには至りませんでした。
次なる毒は、身も心も侵してくれるでしょうか。
『闇金ウシジマくん2』
今回は片瀬那奈的ポジションがなく、代わりに綾野剛が出演するようです。売れっ子だなあ。
1話を観た限り、またもやお金で身を持ち崩す人びとが次々出てくるようですが、とりあえずホスト遊びと借金はするまいと固く心に誓いました。
今夏公開の映画も製作されているようですが、そういえば映画の1作目を鑑賞するのを忘れていました。

『ごちそうさん』(承前)
「悠さん、浮気する」の巻。
いや、悠さん的には浮気ではないのでしょう。理屈っぽい男は浮気の定義を自分の中で勝手に定めています。妻に黙って仕事前に幼なじみと会って話をすることや、夜に未亡人の家に行ってカレーを食べることや、涙する女性をうしろから抱き締めることは、悠さん的には浮気ではないのでしょう。もっとも、朝ドラ視聴者の大半を占めるであろう主婦層に、その理屈が受け容れられたかどうかは定かではありませんが。しかし「悠さんさいてー! 源ちゃんの方が百倍いいわ!」と言いたくなるには至らないほどに、源ちゃんが希子の淡い恋心を打ち消すくらい独身貴族を満喫している日常が先に描かれていたので、結局女目線からすれば身勝手にもほどがある悠さんを許さざるをえなくなりました。
しかし唸らされるのは、め以子に全面的に肩入れできないように描かれた脚本です。亜貴子の病院に突撃して、「夫に近づくな!」と断言さえすればいいものの、一見言い分を聞くという並列の姿勢を取りながら、結局は妻の権利を嵩にかけて根掘り葉掘りいやな思い出を聞き出すという、はからずもネチネチ攻撃を仕掛けて墓穴を掘ってしまいました。喧嘩慣れしていない苦労知らずのめ以子らしいといえばらしいのですが、当事者からすれば底意地の悪い仕打ちだろうなあ、と。もちろん、妻の気持ちを理解せず口を割らない悠太郎のせいですが。
結局、土曜日の15分で「振られました、戻りました、ごちそうさんでした」と、この問題は解決しましたが、悠太郎と亜貴子の間には深い結びつきがあって、それは恋だの浮気だのという薄っぺらい言葉では表現できない関係性なのでしょうが、それを悠太郎が説明しめ以子が理解するという過程を15分で描くのは無理があったのでしょう、よくわからないうちに元サヤに戻り、お話は希子の恋物語にシフトするようです。
男と女が恋をして、愛に実って夫婦となったのち、やがて愛は情へと変わり、空気になります。生きていくうえでなくてはならないが普段は意識しないものとはよく言われる譬えではありますが、女は男より情を重んじる生きものであるがゆえに、空気のような扱いには耐えられないのです。男は空気を甘受しながら刺激を求め、家の外にふたたび恋を探します。恋の果てに命の種をまき散らすのが太古からの男の役目とはいえ、なんと都合のよい生きものであることか。夫婦になることは、孤独に耐えること。それもまた太古から変わらぬ女の宿命であるのかもしれません。
ま、朝ドラにドロドロはふさわしからず。このエピソードは忘れて、次の「ごちそうさん」を楽しむことにいたしましょう。
とくにすることもないのでボンヤリテレビを眺めていたら、映し出されたのが高校サッカーの決勝戦。
甲子園と違って、国立競技場で行うのは準決勝以降だということも今年はじめて知りました。

キャッチコピーのうまさもさりながら、実況中にちょいちょいチームやその周囲のエピソードをはさむのも箱根駅伝を彷彿とさせる、日テレらしいスポーツ中継の手法です。ともすれば目を離しがちなサッカー中継も、飽きずに観るどころか途中から夢中になって観戦してしまいました。

2-0になって、こりゃ星稜で決まりかな、と思いかけたところでのまさかの同点PK。
延長も進んで、これはPK勝負かな、富山GKのPK職人がどんな仕事をするのかな、と期待しかけたところでのまさかまさかの逆転ゴール。
高校野球だろうがオリンピックだろうが、残りのチャンスわずかでも逆転劇は起こるもの。あきらめない気持ちの大切さをまたしらしめる劇的なゲームでした。
延長に入って、キックをゴールポストにはね返された星稜と、ネットを揺らした富山第一。その差がいったいどこにあったのか、勝利の女神のささいな気まぐれであったとしか思えないほど、観ている者には判別つきませんでした。しかし優勝と準優勝では天と地ほどの差があります。終了のホイッスルが鳴った瞬間、国立の芝に膝をついて涙を流した星稜の選手たちの心境を思うと胸が痛みました。
サッカーというと、関東や東海のイメージがありましたが、最近は地域差がなくなってきているようです。これも高校野球と通じるものがありますが、すわ越境入学の問題とつなげて報じるマスコミには首を傾げざるをえません。個人的には、どこの出身であろうとその地に3年間も暮らしていたら代表を名乗ってもおかしくないであろうと思うし、まして雪深い北陸の地では屋外競技の練習には不利なことも多いであろうし、外に出て行った選手には地元に進学してほしかったなあと思うことはあっても、来てくれた選手に他意を抱くことはないのですが、一般的にはやはり批判的な姿勢が受け入れられやすいのでしょうかね。
それはそうと、サッカーのイメージがない奈良代表はどこだったのだろうと調べたら、一条という県立校が出場していました。そして一回戦で星稜に4-0という野球のようなスコアで負けていました。結果的に準優勝校が相手だったのですから、恥ずかしくはない成績でしょう(たぶん…)。野球やラグビーは全国的に強豪ですが、サッカーはまだまだ後進県のようです。
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ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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