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おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)
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Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2010年 3/18号 [雑誌]

2010年。浅田真央選手の涙が印象的だったバンクーバーオリンピック特集の表紙は、彼女の笑顔でした。

それから、4年。

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 3/13号 [雑誌]

やはり、表紙を飾ったのは浅田選手。
しかしその写真は、笑顔でオリンピックを終えたはずの彼女の、涙する姿でした。

信じられない朝でした。

プレッシャーからか調子の上がらなかった団体戦をひきずった、いやそれ以上に別人のようなショートプログラムでした。
見たことのないジャンプのたび重なる失敗。むしろよくあれだけの演技構成点が出たとも思います。キス&クライの、そしてインタビューでもなおうつろな表情に胸を痛めました。

彼女に用意された結末が、こんなものであっていいはずがない。

神様。どうか、真央ちゃんに最高の笑顔を。

翌朝。
起床してまず目に飛びこんできたのは、「浅田真央ノーミス6位」のニュースでした。昨日は起きるなりいちもくさんに録画を再生した私でしたが、結果があまりにも辛くて、この日は早起きせず先にニュースを見てしまったのです。あわてて再生。

ああ、どうして昨日と同じように見なかったのだろう。
結果を知っているのといないのでは、おそらく心を揺さぶる感情の大きさは倍以上違っていたに違いありません。
しかし、知っていながらも、出勤前の顔をボロボロ汚す涙は抑えきれませんでした。

涙。
それから、笑顔。

笑顔から涙になったバンクーバー。泣かないで、と思わずテレビごしに呼びかけてしまった4年前のことを思い出しました。フィニッシュのポーズのままこらえきれず嗚咽した浅田選手と、一緒になって泣きました。

躓いたショート。圧巻のフリー。それは、彼女の歩いてきたこの4年間の人生そのものだったのかもしれません。
オリンピックで銀メダルに輝き、世界選手権を制し、それでもなおみずからの基礎を見直し、固め直す決意をした4年前。ポリシーでもあったトリプルアクセルの封印。先の見えない矯正の日々。日本を、そして彼女自身を襲った数々の困難。ひとつひとつ壁を乗り越え、立つことのできたソチのリンク。
4年前のように、表彰台には届きませんでした。
それでも、青い翼を背に授かった彼女は、望むところへ降り立ったのです。めざすところの「集大成」へ。

こんな結果を望んでいたわけではない。
それでも、浅田選手を応援しながら、もしかしたらこんな結末をずっと夢見ていたのかもしれない。
自分勝手なファンの、これも「集大成」であったのかもしれません。

・・・

コストナー選手の銅メダルには本当に感動しました。
トリノとバンクーバー、期待されながら実力を発揮できないまま、27歳というベテランスケーターになっていました。三度目のオリンピックを迎え、結果を残せたこと、昔から応援してきたファンとして本当にうれしく思います。間際になっての曲変更、さらにはショートの連続3回転の難度を上げるという勝負も功を奏し、おそらく最後のオリンピックでついに表彰台に上がることができました。慈愛に満ちたアヴェ・マリア、フィギュアの芸術性を堪能できたボレロは、フィギュア史に残る名プログラムであったと思います。おめでとうコストナー。

鈴木明子選手は怪我を抱え精彩を欠いてしまいました。それでもベテランらしいリカバリーで気迫を見せてくれました。ショートもフリーも、最後と位置づけるオリンピックの舞台にふさわしい思いのこもったプログラムでした。
いっぽうはじめてのオリンピックに呑まれてしまったのは村上佳菜子選手。今季不調であったことも、点数の伸びない原因だったのかもしれません。確実に今後の女子フィギュア界の先頭に立っていく選手。これを糧に、世界のトップを狙っていってほしいです。

団体戦、ロシアはショートにリプニツカヤ選手、フリーでソトニコワ選手が出場するものだと思っていました。どちらもリプニツカヤ選手が滑ると聞いた時には驚きました。団体金に貢献したリプニツカヤ選手と出番のなかったソトニコワ選手ですが、個人戦では立場が逆転。団体個人の両方で金メダルを狙いに行くための温存作戦だとしたら…おそロシア。
リプニツカヤ選手の演技は15歳らしい愛らしさと15歳らしからぬ迫力を持つ、まさに今しか滑ることのできないプログラムでした。彼女に関しては、成長期前、技術のぐんと伸びる時期にオリンピックが行われるという、まさに絶好のタイミングでの出場だったのだと思います。背が伸び始めるであろうこれからが本当の勝負でしょう。
ホームであること以上に大観衆を味方につけたソトニコワ選手。成長期を終えてすべての要素に安定感が増しました。キムヨナ選手の代名詞でもあった3ルッツ+3トーループは、今や多くの若手選手が武器にするようになりました。ソトニコワ選手もそのひとり。「元祖」を凌駕する迫力ある連続ジャンプでした。
このオリンピックで引退を明言していた前回の金メダリストに、4年前の面影はありませんでした。冒頭の高難度連続ジャンプも、前回に較べてスピードも高さも劣りました。まして他の選手がより高く、速く跳ぶようになってしまっていては、見栄えもしません。それでも最終滑走にふさわしい実力を、本来の彼女は持っていたはずであった、ということを想起させる滑りでした。キス&クライで点数を待つ間、そして点数が表示された後、彼女の表情を見て、おやと思いました。今までのキムヨナ選手の印象とずいぶん違っていたからです。すっきりしたというか、憑きものが落ちたというか。ああそういえば、彼女はいろんなものを背負いながらスケートをしていたのだと思いだしました。はじめて見た頃は、イキイキと滑っていました。その頃のキムヨナ選手が好きでした。誰しもがそうであるように、練習は苦しいけれどフィギュアが好きで、好きだから競技を続けている、選手皆そういう思いが見ているだけで伝わってくるのに、いつからか何の思いも伝わってこない滑りをするようになっていた、と。いったいどうして彼女はフィギュアを続けているのだろう、きっとこちらからは想像もつかないようないろんな事情があるのだろう。それらから解放されて、キムヨナ選手がもう一度スケートを好きになってくれて、10代の頃のようなイキイキした滑りをもう一度どこかで見ることができたらいいな、と思います。

・・・

採点は、あいもかわらず、といったところでした。
ショートを終えて日本の3選手がメダル争いから離れたことで、上位の点数にはあまり関心を持たなかったのですが、冷静に振り返れば、やはり「なぜかオリンピックだけ超バブリー」な結果です。
勝負ごとに、たらればは無意味ですが。
もし、浅田選手がショートをそこそこで終えていたら。そしてさらに、フリーであの滑りをしていたら。メダルはどうなっていたでしょうか。
おそらく、手に届いていたかはどうか怪しいと思います。もしそうなっていたら、真央ちゃんのフリーの感動は半減してしまいます。ですので、むしろメダル圏外であったからこそ、純粋に陶酔できたのだと思います。
6種8トリプル。できればそうしてほしいなあ、と願ったプログラムでした。回転不足(と書いていちゃもんと読む)のため達成はなりませんでしたが、史上初めての試みは、果たして今後の女子フィギュア界に一石を投じる結果となったでしょうか。
男子に比べて難度を下げて得点を狙う構成が多い、と言われる女子フィギュアですが、高難度の3-3回転は、今や若手の多くが挑戦するようになりました。3アクセルを試みる選手も、現われてくるかもしれません。オリンピックを終えておそらく、ルールも採点基準も大きく変えられてくるでしょう。ソトニコワの武器であるセカンド3ループの回転不足も取られにくくなればいいなあ、と思うのですが。
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「2位じゃダメなんですか?」という言葉が盛大な批判を浴びたのはもうずいぶん前のことですが、とにかく日本の政治家は、あらゆる場所からお金を削ろう削ろうとしています。つい最近でも、大阪市長が文楽協会の補助金を削ろうとして、大阪で大騒ぎになりました。
スポーツや文化芸術では、確かに国は豊かにはなりません。それは合理化を望む政治家にとって「ムダ」なものなのでしょう。
しかし国民の心を揺さぶるのは、政治家の街頭演説では決してなく、全身全霊をかけてオリンピックの競技に挑むアスリートたちのまなざしなのです。

スピードスケートの表彰台を独占したのは、ハヤテのごとくリンクを駆けたオレンジの風でした。期待された日本人選手は、メダルという結果を残すことはできませんでした。国をあげてスケート競技の強化につとめるオランダのチーム力に、個人の実力は肩を並べていても、組織としては多くの課題を残す日本はついていけませんでした。

それでもまだ、スピードスケートは恵まれているほうなのかもしれません。
冬季五輪には、新設競技やまだ歴史の浅い競技が多くあります。スノーボードパラレル大回転で銀メダルを獲得した竹内智香選手は、高みをめざして単身スイスへ武者修行へ出かけました。アルペンからハーフパイプへ転向した小野塚彩那選手もまた、多額の遠征費を自己負担しながらの競技生活でした。
「国費を使って送り出しているのに、結果を出せずに申しわけありませんどころか楽しかったなどと口にするのはなにごとか」といった趣旨の発言をした学者がいたようですが、「国費をかけているのに」と文句を言えるのは、他の強豪国と同等の額を出資してからの話だと思います。
東京オリンピックに向けて強化予算の大幅増額を計画しているようですが、冬季の競技にはいったいどのくらいの国費が投入されるのでしょうか。竹内選手の「若い選手が私のように遠回りせずにすむようになれば」という言葉には重みがありました。メダルを取れてよかったね、負けたけれどもよくがんばったねで終わりではなく、開拓者たちの努力と金言をJOCと国はもっと真摯に受け止めてほしいと思います。

高く、遠く飛ぶことが勝利の条件に思えるスキージャンプには、実は飛型点というものがあります。
今まで目にしたジャンパーで最も美しいと思ったのは、長野五輪で活躍した船木選手の飛型でしたが、まさにモモンガのように両手を広げる葛西選手のスタイルも、なかなか美しいなあと感心しました。
37歳で挑んだ4年前のバンクーバー、個人でも団体でもメダルに届かず、進退も不安視されていた中、「アマンの野郎をぎゃふんと言わせないと!」と視線を4年後に向けていた晴れ晴れとした表情には驚かされましたが、まさか41歳で7度目のオリンピックにも出場するとは、想像もしていませんでした。しかも、若手を差し置いてダントツのメダル候補として。
その活躍は、日本よりも世界で「レジェンド」と称賛されているといいます。
長野後の板の長さやスーツのルール改正は、「日本イジメ」とも言われました。あれから16年。世界を席巻した日本スキージャンプ界は、すっかり欧米に後れを取ってしまいました。それはルール改正だけの問題ではなく、企業、国を含めた競技への消極的な取り組み姿勢にも原因があったのかもしれません。
逆風の中、第一線で奮闘してきた葛西選手。長い長い戦いに、ようやくスポットライトの当たる時がやってきました。
個人ラージヒル、2本目を終えた葛西選手のもとに駆け寄ってきた3人の若手選手たち。あの映像は、それまでのソチ五輪の中でもっとも感動した瞬間でした。ベテランらしからぬ陽気で若々しいキャラクター。背景が報道されるにつれ、尊敬の念以外に沸いてくるものはありません。「新たな目標ができた」と、笑顔の先はさらに4年後。彼は競技者としても、人間としてもまさにレジェンドです。
そして二番目に感動した瞬間は、ジャンプ団体で銅メダルを獲得したあとの葛西選手の涙でした。
所属チームで選手兼監督をつとめる彼は、もしかしたら個人の成績よりも、団体のほうに重きを置いていたかもしれません。長野以来、待ちわび続けられた団体のメダル、それはジャンプ界の未来を占う重要なファクターでもあったのです。
日の丸飛行隊の復活を導いた4人の選手。スランプに悩んだ清水選手。難病を抱えながら五輪にこぎつけた竹内選手、怪我をおして最後まで飛び続けた伊東選手。彼らの思いすべてを背負い、最後のジャンプに挑んだ葛西選手。個人でメダルを獲得した時の満面の笑顔ではなく涙声でインタビューに応じた葛西選手の姿に、日本ジャンプ界の長年の苦悩を知りました。
日本じゅうを感動に包んだ長野五輪、その中心にいたのは解説をつとめた原田雅彦さんでした。
今回のメダルを「長野以上の価値がある」と自画自賛した葛西選手、「彼こそがレジェンド」と称賛の言葉を惜しまなかった原田さん。どちらも、スキージャンプを語るうえでは欠かせない歴史の名場面として、永遠に語り継がれていくことでしょう。

そしてもうひとつ、かつて日本が勝ち得た栄光を追い続けた競技がノルディック複合。
あれはアルベールビルであったか、リレハンメルであったか。「キング・オブ・スキー」と名高い荻原健司さんが日の丸の旗を誇らかに掲げ、ゴールした瞬間は今でも憶えています。
しかしそれ以降、日本チームは苦境に立たされることになりました。
それが前半のジャンプの比重を下げた新ルールによるものなのか、競技界全体の問題なのかはわかりません。しかし日本人が後半のクロスカントリーで勝ち切るには、あまりにも欧米とはフィジカルの差がありました。
それを少しずつ、少しずつ埋めてきたこの20年。
競技が行われるのはオリンピックだけではありません。W杯では着実に、成績を残してきました。しかしメディアが注目するのは五輪のみ。渡部選手が、「真に価値があるのはW杯総合優勝、しかし五輪でメダルを取らないと意味がない」という趣旨の発言をしたのも、偽らざる本音でしょう。
フレンツェル選手との見ごたえあるデッドヒート。メダルの色を分けたのは、やはり最後の最後、フィジカルの差であったのかもしれません。しかし登り坂で一気に勝負に出た渡部選手の勇気には、「複合ニッポン」の復活ののろしを感じました。
そして、「複合ニッポン」を牽引してきた荻原健司さん。渡部選手が大ジャンプを見せた時、解説であることも忘れて歓喜した様子、銀メダル獲得後、「今の選手のほうが断然強い、自分たちはとうていかなわない。そういう世界で銀メダルを取れたことは本当にすごい」と手ばなしでの称賛。別番組で司会をつとめていた荻原次晴さんは、本番中にもかかわらず号泣しました。彼らの姿にもまた、ノルディック複合のこれまで立たされてきた苦境、選手やスタッフたちの苦悩を思い、20年ごしのオリンピックメダルにこめられた先人たちの悲痛な思いを強く感じました。
「キング・オブ・スキー」。日本選手がふたたびその称号を手にする日は、そう遠くないかもしれません。

オリンピックでメダルを手にすることによりおよぼす影響は、小さいものではありません。
もちろん、冬の屋外競技には天候やコースの条件など違いがあり、その場限りの結果で世界ランキングの成績が決まるわけではありません。
しかし、4年に一度の大きな大会。メディアの取り上げ方にも問題はありますが、やはりオリンピックのメダルには特別な意味があります。
スキージャンプ、そしてノルディック複合、子どもたちが彼らの活躍を目にし、オリンピックを夢見て競技を始めるかもしれません。
それこそがオリンピックの価値なのだと、つくづく思います。
テッド

下品だ下品だとは聞いていましたが、ここまで下品だとは思いませんでした。
公開当初、映画館には等身大テッド人形が飾られていたと聞きましたが、勘違いした初々しいカップルが入ってしまったらどうしましょう。

内気で弱気な少年ジョンが得た最初の友達。テディベアのぬいぐるみ。少年の願いは神様のもとへ届き、テッドには魂が与えられた。それだけならディズニー映画にもなりそうな心あたたまるストーリー。しかし本題はその27年後。主役は35歳になってもうだつのあがらないおっさん・ジョンと、下ネタ用語を連発しハッパを決めまくる不良クマ・テッド。
それでもふたりはあいもかわらず大の親友。昔観たテレビ番組のヒーローは今でもふたりの永遠の憧れ。雷におびえ心を奮い立たせる自作の歌を合唱。交際4年目、そろそろ結婚も視野に入れたいジョンの彼女ロリーはあきれ顔。

とにかく口を開けば放送禁止用語やら差別用語やら、アメリカのサブカルやら、聞くに堪えない理解もできないセリフが雨あられ。賛否両論分かれるところでしょうが、自分としてはそれなりに楽しめました。ふたりが敬愛してやまないフラッシュ・ゴードンは、日本でいえばウルトラマンか仮面ライダーといったところでしょうか。字幕で「くまモン」やら「ガチャピン」やら巨人の星やら、翻訳家の苦慮が透けて見えますが、実際は何と言っていたのだろうと気になります。

ジョンとテッドの友情は、きっと人間とテディベアだからこそ成り立つものではないかとも感じます。あれがいいトシした大の男ふたりの絵面であれば、ロリーは一夜にして愛想をつかして出ていくでしょう。テッドだからこそふたりの褥にもぐりこんできても許せるし、結婚後もどうやら同居しちゃうし、ベタなラストもつい涙を誘われてしまう。
もちろん、現実的にはジョンとテッドは共依存の関係で、お互いから独立しないといつまでたっても大人のフリした精神年齢8歳から成長できない。下ネタも悪いコトも差別も、子どもは無意識に楽しんでしまうもの。一緒にいることによって、本来なら成長するにつれて自然と自制していくべきそれらの愉悦から抜け出せない。それが「おしゃべりするぬいぐるみ」の非現実的ヴィジュアルによって、一気にほほえましい関係へと変化しているのはなかなか巧みなプロットだと感じました。
男は女よりも幼くて、本当はいつまでも永遠の少年でいたい生きものとはよく使われる言葉です。ガンプラやレトロゲームが売れ続け、ドラゴンボールが何度もリメイクされるのもそういった懐古趣味が先天的に男が女よりも強い遺伝子を持っているからなのでしょう。女の子がバービー人形やセーラームーンを大人になっても集めているという話はあまり聞かないし。

いつまでたってもお子ちゃまでバカばっかりな男どもと、やれやれとそれを見守る女たち。この作品は、男の理想を具現化したものなのかもしれません。
冬の競技につきものなのが、ジャッジによる採点。
時には「ん?」と首をかしげたくなるようなその点数によって、メダルの色が変わり、表彰台とそれ以外に分けられてしまいます。

どうして、オリンピックの表彰台は最後まで彼女を拒絶したのでしょうか。
上村愛子選手が女子高生スキーヤーとして話題を集めた長野五輪。あこがれの金メダルを手にしたのは彼女の先輩・里谷多英さんでした。
それから16年。ソルトレーク、トリノ、バンクーバー。スピードを上げ、男子なみのエアを披露し、世界屈指のターン技術を身につけてもなお、表彰台には届きませんでした。
休養に入った彼女を再び競技の世界へ導いたのは生涯の伴侶の言葉でした。しかしその間に、モーグル界にも変化の波が訪れていました。
モーグルはタイムを争うとともに、採点競技でもあります。
オリンピックの採点競技においては、それまでのシーズンにおいて与えられた点数が、基礎点にもなります。上村選手の磨き上げられたターン技術は、もう世界の潮流の中心にはありませんでした。上村選手もそれを知っていました。知っていてなお、最後まで自分らしい滑りを貫きました。

「集大成」。多くの選手がそれを口にします。ですが、あまねく思い残すことなく実力を発揮し自分自身を表現することは容易ではありません。競技であればなおさら、環境や天候に左右されるところもあります。まして今回のモーグル会場は、屈指の難コースと言われていました。しかも第一滑走。集大成を賭けるには厳しい条件でした。
ソチオリンピック、女子モーグル、決勝3本目。
上村選手の滑りは、圧巻でした。
正確なターン、美しいエア、そして圧倒的なスピード。「集大成」にふさわしい滑りを披露した直後、彼女はゴーグルの下で泣いていました。
すべての選手に点数がくだされ、最後の五輪でも表彰台に届かなかったと知った後、彼女は笑顔を見せました。そして「すがすがしい」と言いました。全力を尽くした、悔いはない、と満足感にあふれた表情で。
この悪条件で、彼女らしい「集大成」の滑りを全うした――それが5度目のオリンピックで、彼女に与えられた輝きでした。

見ている者は、なぜ、と思う。採点競技につきものの不透明感。第一滑走だから点数が抑えられた、今シーズンの実績が少ないから不利、そんな理由は素人には納得できません。最後の滑りに関してだけは、上村選手のそれは他を圧倒していたはずなのです。
それでも、彼女の言葉に、嘘はなかった。最後の最後で、彼女の涙は意味を変えた。表彰台ではなかったけれど、彼女の最高の笑顔はメダル以上に美しい光をもって、私たちの心を輝かせてくれたのです。

その採点について過去に幾度も疑問視され、ルール改正を重ね続けているにもかかわらず、あいかわらず闇は深い(としか思えない)フィギュアスケート。
知れば知るほど、やるせない思いに包まれます。

それでもメダルを取ればうれしいし、それが表彰台のいちばん高いところであればなおさらです。
羽生結弦選手の、完璧なショートと成長のあとを感じさせるフリー。
その演技をはじめて見たのは、バンクーバーの選考会を兼ねた全日本選手権でした。ジュニアを制したというまだ幼さを残した少年は、ひらひらした衣装を身につけて優雅に舞っていましたが、やはり第一線で活躍する高橋・織田・小塚の代表選手たちと較べればまだまだ見劣るところ多く、次代を担うには技量不足であると感じました。なんというこの先見の明の無さ。

4年という期間は、伸び盛りの少年を青年に変えました。卓越した4回転ジャンプは世界トップレベルの技術点に、柔軟性を備えた個性あふれる演技は演技構成点に。彼を取り巻く環境も、4年の間に転変しました。かつて選手不足とされていた男子フィギュア界は、いつのまにか人材の宝庫となり、オリンピック選考会は世界でも例を見ないほどの激戦区となりました。
4年の間に、日本の頂点に君臨することとなった羽生選手。彼をそこへ導いたのは、オーサーコーチの手腕に寄るところが大きいことは語るに避けては通れないでしょう。かつての名選手であり名コーチとなった彼のもとへ弟子入りしたことで、試合ごと彼に与えられる点数は大幅にアップしました。
高難度ジャンプである4回転サルコーに挑み、そしてそれを失敗したとしてもなおリカバリーできるプログラム。フリーの最後にはいつも息切れしていたかつての羽生選手の姿はもうそこにはありません。後半にジャンプを集中させても最後まで演じきることのできる体力を、この4年で彼は身につけました。
もちろん、オリンピックはひとすじ縄にはいきません。4回転以外のジャンプはいつも軽々決める羽生選手が、フリップジャンプでまさかの失敗。それでも気持ちを切らさずに演じ続けたロミオとジュリエット。音楽に合わせたイナバウアーには、トリノ五輪の荒川選手を思い出しました。シニアデビューのプログラムよりもずっと洗練された、力強いロミオの気迫でした。

団体戦から日をおかず行われたフィギュア男子。プルシェンコ選手は滑らずして棄権しました。多くの選手がパーフェクトを決められず、ショートを終えてメダル争いは大混戦。フリー後にはショート9位の選手が銅メダルを取りました。
11位から5位まで巻き返した町田選手。あの失敗がなければ…団体戦の日程が変わっていれば…と思わずにはいられませんが、これも結果。彼の語るティムシェルは確かにこの胸に刻まれました。競技とは一変してコミカルな表情を見せたエキシビション。「最初で最後の五輪」と公言していましたが、彼の決意は揺らぐこともあったでしょうか。
怪我の影響を隠せなかった高橋選手。三度目にして最後のオリンピックは、6位で終えました。寸前には、意図せずして楽曲をめぐる騒動に巻き込まれてしまいました。ジャンプに精彩を欠き、力強さはありませんでした。それでも高橋選手の魅力はリンク全体から伝わりました。怪我に苦しみ続けたフィギュア人生、その集大成。男子フィギュア界がこれほどの隆盛をきわめているのは、高橋選手のたゆまぬ努力のおかげに他なりません。
悔しさも満足感も、すべて浄化したようなキス&クライの穏やかな表情に、彼の長い『道』はバンクーバーからソチへ、ここにつながっていたのだと感じました。
そして高橋選手とともにフィギュア界の先頭を走り続けたのが織田信成さん。試合後出演した番組で、画面ごしに「大ちゃ~ん」と呼びかけるなりぼろぼろ泣きだした、その場面だけで彼らの絆の強さが伝わりました。

多くの笑顔も、涙も、そのひとつひとつが強く印象づけられるオリンピックの毎日です。
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ヤスオーと古都の片隅で暮らしています。プロ野球と連ドラ視聴の日々さまざま。
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